アメリカ生活

小二男子(8歳の息子)に主人のアメリカ駐在の件とそれに帯同することを伝えた話

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6月に駐在の話が浮かび上がり、9月の半ばにはほぼ確定した。

私たち夫婦は8歳になった小学2年生の息子に駐在が決まったことをいつどう話そうかと考えていた。

約4ヶ月私はひとりで悩んでいた訳だが、検索してもこういう内容のブログを見つけられなかった。みんな!どうやって!どのタイミングで!どんな風に伝えてるのー!モヤモヤしたものだ。だから記録として残すことにした。

夫婦で分かれる意見

高校卒業後から大学も含め6年ほどアメリカで過ごした主人は隠す必要もない、早く伝えてあげた方が行くまでの時間を悔い無く過ごすことができる。あれもしたかったのにこれもしたかったのにと思いながら行く方が辛い。という意見。

一方幼稚園年長から小5まで親の仕事でアメリカで過ごした帰国子女である私は、子供にとっては大きく環境が変わるのは辛いこと。行くんだと思っている期間が長いほど不安も増すし嫌になってくる。それであれば1ヶ月前くらいまでは隠しておいた方が良い。という意見。

結果、主人はしぶしぶ息子の年齢と行った時期が近い私の意見を尊重してくれた。

秋、帰国子女が多く通う学校の学園祭に遊びに行った際、そこで出会った知らないおじ様に「駐在決まってるのに子供に伝えてないの?!お節介かもしれないけど、それは可哀想だよ。悔い無く過ごさせてあげないと、後々恨まれるよ!早く言ってあげてほしい。」と諭される事件が発生。主人も「私も正直その気持ちはよくわからないんですけどね、妻の拘りなので。」と。

主人よりも知らないおじ様の意見を尊重する訳ではないが、自分の考えに疑問を持ち始めた。

もしかして私のこの戦略は間違っているのか…?息子は私が思っているよりもずっと大人で、理解できる子なのかもしれない…でも…そんなことを頭の中でグルグルと考えていたら、考えが変わってきたという訳。

考えを改め、息子を信じて話してみることにした。これで嫌だと泣かれたり駄々をこねられたりしたら、もう私たちが責任を持って心のケアまで徹底サポートするしかないと腹を括った。

私は予定表と睨めっこしてしばらく悩んだ。いつ伝えるのが最善か。前後の予定や習い事のことなどを総合的に判断したところ、三連休の中日だった。そして迎えた、予定日。

ついに、息子へ報告

タブレットのscratchというアプリでATMの画面を作っていた息子に話があるのでキリが良いところで切り上げてほしいとお願いしたら、ハの字眉になったので「嬉しい話、良い話だよ」とだけ伝えた。

それでも「話がある」と言われたら誰だって不安になるのが人間。息子のハの字眉は加速しさらにハの字に近づいた。

「パパから報告があるんだ。」と言って主人にバトンタッチ。

「えー、パパにはやらないといけないことがあって、会社からアメリカに行ってくださいと言われ『ヤダ!』

え…やっぱり失敗だった…

『ヤダヤダ、絶対ヤダ。ダメ。ヤダ。』

ダメ…?ダメという言葉が引っかかり、「わかった、嫌なんだね。ちなみにどうして嫌なの?」と聞いてみた。

『パパと離れるなんて嫌だ…』息子の表情を見る限りもう限界、目が真っ赤になり涙を堪えている。

「なるほどね、パパだけ行くと思ったのね。」と言ったら、主人がすかさず「パパだけじゃなくて、ママと息子にもついてきてもらいます。みんなでアメリカに行くよ。」と言ったら一気に息子の表情は変わり、『ヤッター!アメリカ!ついにアメリカに旅行に行けるんだ!』

おっと。

「違う違う、旅行じゃなくてね、暮らすの。アメリカで生活をするのよ。」

最初は状況が読めていない様子で、息子はしばらくぽかーんとしていた。

「家も借りて、アメリカの学校に通って、向こうで暮らすんだよ。」と私が言うと、『え?!このお家はなくなっちゃうの?!』そうか、そうなるよね。

「アメリカの夏休みは長いから帰ってくるおうちが必要だし、日本に帰ってくるつもりだからこの家も残すよ。」

理解し始める息子。

私はこの流れを一瞬不安に思ったが、心配とは裏腹に息子は喜んでいた。

そして、「人生が変わる…」そう呟いた。

『わぁ…なんか…僕の人生変わる気がするなぁ。楽しみ!』

その言葉を聞いて父と母は心底安心した。『アメリカ!アメリカ!楽しみー!イエーイ!』なんてハイタッチしたりして。

主人は息子のこの反応に驚いたようで、「色々なことがまだわかっていないからなのかわからないけど、小2の俺なら不安で不安で大きく環境が変わることが怖いだろうに…すごいな、予想外の反応だったわ」とちょっと笑いながら、我が子の前向きさに感心しながら、(パパ友と魚を捌くため)家を出ていった。

それから小一時間ほど息子と二人で話した。大事な話だからベッドで色々と話そうと誘われたので一緒に横になり、息子が満足するまで息子の疑問に答えようと思った。

もう寝る時間を過ぎていたけど、小さな息子が抱く不安を解消できるのなら今日くらいはそんなことどうでもいいと思った。

息子の疑問点

当日に息子が気になったことを綴っていく。もし他にもこうして伝え方で悩んでいる親御さんがいたらどうか参考にしてほしい。子の性格によるので参考になるかはわからないけど、備忘録として。

アメリカ生活のこと

◎アメリカでもに行くのか→行かない、集団塾みたいなそういう概念があるのかすらわからない。家庭教師をつけてまずは英語を頑張ろう。→オッケー!

英語は話せるようになる?→数ヶ月で何を言っているのかはわかるようになると思う。よく見て、よく聞く。あなたは耳が良いし、子供ならこれだけで大丈夫。→ヤッター!僕もパパとママみたいに英語ペラペラになれる!

銃社会が怖いから帰宅時は絶対に家にいてほしい、お家に一人は怖い→アメリカでは子供を一人にしてはいけない。日本みたいに一人で公園に行くとかバスに乗るとか、向こうではできない。学校でもちょっとした買い物でも移動する時はずっと一緒。→ヤッター!

お家は大きいの?ここよりももっと広くなる?→今は都内だから狭いけど、ここよりは確実に広くなるよ。お手洗いだって2つ以上あるから、朝パパと取り合わなくて済むよ!→ヤッター!広いお家楽しみ!

現地校のこと

◎算数とか国語とか、授業の内容が英語でわからなくてついていけない時はどうする?→算数は日本で先取りしているから内容で困ることは無いと思う、あとは単語への慣れ。国語は英語になるから、こっちの方が大変かも。ママも家庭教師もサポートするよ。→良かった!

学校の子はみんな金髪で目は青いの?→アメリカは移民の国だから、人種も髪色も目の色も肌色も文化も多様。エリアにもよるけど日本みたいにほとんどが日本人という訳ではない。→そうなんだ!

意地悪な子はいる?→そこは日本と同じ、どこにでもいる。意地悪だけじゃなくて人種差別をしてくる子もいる。ママも経験済み。自分と違うものを受け入れられない人もいる。息子は広い視野を持出るようになるはず。→そうなんだ!

◎学校には日本の子もいる?→いるかもしれないし、いないかもしれない。ただ少しはアジア人のいる学校を選ぼうと思っている。→そうなんだ!

給食はどうなる?苦手なトマトが出てきた時になんて伝えればいい?→アメリカはランチボックスだからママのお弁当だよ。→ヤッター!

日本教育のこと

日本語を忘れないか→日本語教育の補助もあるので大丈夫、家でもドリルとかは続けよう。サピの海外在住者向けオンライン授業もある。規模は大きくないかもしれないけどお稽古みたいな立ち位置の日本人学校にも行こう。先生も日本人だし、日本人のお友達もできるよ。→ヤッター!

一番仲の良い子に会えなくなるけど連絡は取られる?→オンラインで話せるし夏も遊べる。→良かった

意外にも前向きだった息子

こんな話の流れで、アメリカでは箸をメインに使うことはない、学校で上履きに履き替えない、家の中でも土足の人たちがいる等と文化の違いを話したら一つ一つ驚いていた。

それによって嫌な気持ちになることもあると思うし、面白いなーと感じることもあると思う。でもそれこそが経験で教科書で学べないこと、誰もがこの時期に経験できることではないことだと私は思う。ママも駐在の間は勿論辛い思いもしたけど、今振り返っても本当に行って良かったし両親に感謝していると伝えた。

「あなたは折り紙あやとりが得意だから、最初はそういうものを使ってコミュニケーションを取ってみたら?あれは日本の文化で、海外の子は驚くみたいよ」と言ったら

『最初はドラゴンをたくさん折ってみんなにあげたらみんなすごいって言ってくれるだろうし、こんな風にジェスチャーで会話してたら大丈夫だよね☆』(ちなみにジェスチャーで会話の部分はガッツリと本気の例を見せてくれた)

自信満々にそう話す息子、メンタル大物すぎる。母は君を尊敬している。そして君なら本当に大丈夫そうだと思わせてくれる度胸を持っている。

もちろん、実際はそんなに単純ではない心が折れることもあるので必死でサポートはしていくつもりだ。ただ、「この子なら大丈夫かもな」そう思わせてくれる息子は本当に頼もしい。

私が帰国子女であることで、聞けば何かしらの答えが返ってきて不安が解消されていくということはあるかもしれない。私にとっても未知の世界で不安を抱いていたらきっとその不安が伝わり息子も不安になっていただろう。

私が幼少期にアメリカに行きたくないと思い不安だったのは、当時全く英語もわからず海外経験もなかった母の不安が伝わっていたからなのかもしれない。

今みたいに簡単に情報が得られる時代でもなく目立てば殺される、道を歩けば撃たれると本気で思っていた母は渡米の際、親子全身黒づくめで到着口に登場し、先に渡米していて迎えに来た父を驚かせたという逸話も残っている。父は「黒づくめ一家なんていないから逆に目立っていて本末転倒だったよ」と笑っていた。

が、そう考えると母には頭が上がらない。私が突然言葉も文化も安全性もわからないアフリカかどこかに行けと言われるようなものだ。想像を絶する。

しかし息子に対してはこれまでも私がアメリカにいた頃の話はちょこちょこしていたので、息子にとってもそんなに大ごとではなかったのかもしれない。

主人はグローバルな環境で働いているのでオンラインミーティングで話す英語がいつも部屋から漏れてくる。主人の多様性溢れるチームでBBQをする時は私と息子も参加していたので私が話す姿も見ていて、「僕も英語が話せたらなぁ、話してみたいなぁ」とよく言っていた。

密かな準備

駐在の話が出た夏頃、中受のために一年生の冬から通い始めたサピと算数塾を両立させながら英語も通うのは無理だ…と判断し、誘導してサピを英語に置き換えた。

秘密裏に実は進んでいた、駐在準備。

ある日突然「ねぇ、英語、習ってみたい?」と聞いたら目を輝かせて『行くーーー!』と。「そしたらサピか算数塾はどちらか辞めようか、また通いたくなったら通えばいいよ」と言うと『僕は算数に自信があってもっと伸ばしたいから算数塾を続ける』そう言ったのでサピは退会しなんとか上手く英語にスライドすることができた。

サピの先生に事情を説明して相談したところ、何とも優しく「またいつでも戻っていらしてくださいね」と言ってもらえてほっとした。どうやら帰国子女入試にも強いようで、情報量は流石大手のサピックス様。アメリカでも後々はSAPIX USAにお世話になろうと思っているほどだ。

そして英会話が始まる。通い始めてみると月3回しかないし大した時間でもなければ大した内容でもない。ただ息子はめちゃくちゃ楽しそうで毎回爆笑する声が聞こえてくる。

主人は「内容なんていいんだよ、オールイングリッシュで日本人じゃない人と何とかコミュニケーションを取るっていう環境が大事なんだから。」なるほど、私の視野が狭かった。だって高いんだもん、ベルリッツの個別!泣

ということで回数を増やすわけにもいかず、自宅で私がアルファベットとフォニックスを教えることにした。これについてはまた後日別途詳しく綴りたいと思う。

そんなこんなで準備としては出来る限りのことはやってきたつもり。会話はまだまだできないけど単語を知っているだけでも多少は良い。

昨晩息子にも伝えたことで英語に対するモチベーションはより上がったはずだ、多分きっと。さっさとフォニックスのドリル4冊をこなして終わらせてしまおう。

残りの数ヶ月、親子共々悔いのないように過ごしていく。

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